2012年に現在の与党が選挙で勝った時、私は日本に住んでいました。日本の新聞でジョージアでは親ロシア政権が誕生したと書かれていたことにびっくりしました。親ロシアだと思わなかったからです。2013年に私はジョージアに戻りました。そのころから、ジョージアは親欧米的な方針から少しずつ外れてきていると見ています。政府に対する不満を抱える住民の数がだんだん増え、今年の春にピークに達し、一週間以上もデモが続きました。私の生徒たちもよくそこに参加していました。今年の10月26日の議会選挙では、現状が変わる期待があったのに、選挙でまた与党が勝つという結果が出ました。後ほど選挙に不正が多かったことが明らかになりました。それを証明する写真やビデオもたくさんあり、報告もあります。私も選挙に参加した一人として、秘密性が十分に守られていなかったと思います。また、知り合いの間でもいろいろな不正の話を聞きました。

大統領は選挙前に野党を団結させる活動をしました。選挙後も不正を証明する資料を集めさせ、裁判所に提出しました。しかし、裁判所はこの訴えを受け取りませんでした。ジョージアの司法は政府の影響から自由ではない、改革が必要だという話は以前からずっと続いています。この行動もそれをあらためて示したと思います。

野党は選挙の結果を批判し議会を拒否しました。議会の会議を与党だけが開き、首相は欧州連合に加盟するための交渉を停止すると発表しました。おまけに、元サッカー選手の議員を新しい大統領として提案しました。これで以前から抱えた不満が爆発し、強い反発デモが始まりました。

デモに大勢の人が参加しています。一週間以上もずっと国会議事堂の前に集まり、12月の寒さの中で夜じゅうそこに立ち、自分の怒りをポスターや叫び声で表しています。私も二回参加し、風邪をひき、今休んでいます。デモには若者だけではなく、いろいろな年齢の人が来ています。車いすに乗った体の不自由な人も見かけました。警官隊はデモの反対側に立ち、深夜に人々を追い払おうとしています。住民に水をかけたり、催涙ガス弾を打ったり、デモの参加者を追いかけたり、殴ったり、逮捕したりしています。これまでに三百人以上が逮捕されています。逮捕された人々の中には、野党のリーダーや市民団体のリーダーもいます。

おとといからデモ以外の場所で人々が逮捕されたり、逮捕後に殴られたり、野党や市民団体の事務所、そのリーダーの家などが捜索されたりしています。周りの人々からこんなことを許したら、ソ連時代、1937年の弾圧のようことが繰り返されるという話も聞きます。住民の怒りがさらに大きくなり、デモは地方にも広がっています。

ジョージアの憲法には、ジョージアは欧州連合に同盟するため努力すると書いてあるのに、政府が欧州連合との交渉をストップし、欧米が呼び掛けても気にすることなく、ロシアの政治家に褒められていることは、明らかに国の方針が変わっていることを示していると思います。

私の先祖は1921年のロシア赤軍によるジョージア占領や、1937年*にソ連で行われた弾圧の際に被害を受けました。祖父母からそのときの状況をこっそり聞いたことがあります。私もソ連時代に生まれ育ったので、ソ連の制度のことはよく理解しています。それでソ連やそれに似た社会に絶対に戻りたくない強い意識を持っています。

現在、欧米とロシアの対立が続き、前線はウクライナ、モルドバ、ジョージアにあります。ジョージア住民の80%以上は欧米を選んでいますが、ウクライナのように戦争に巻き込まれたら危険だと分かっていますから、難しい選択です。

*1937年はソ連の国内で最も激しい弾圧があった年です。当時、KGBの職員が、根拠のない密告をもとに人々を逮捕し、シベリアに追放したり、射殺したりしました。その後、逮捕された人々の家族から家を奪い、周りから国民の敵の家族と言われるようにさせました。この弾圧で苦しんだ人はあまりに多く、当時のジョージアには弾圧と無関係だった家族はありませんでした。